大学院へ行こうと思った理由

 21歳を迎えたあたりから、次世代のことを考えるようになった。街中ですれ違う子らに目を細めては、どうか健やかに生きてほしいと願うようになった。少しでも彼ら彼女らにいい感じの未来を手渡したい。少なくとも、今よりは幾分かマシな未来を。

 将来やりたいことは特にない、と思う。今も。いつの間にかこびりついた価値観を一枚、また一枚と剥がしていけば、あとには何も残らなかった。周りはもっと何か確固たるものを持っているように見える。夢とか目指す方向へ向かって一直線に走っていけるのは格好いいと同時に羨ましくもあった。

 全て捨ててしまえば何も残らないことがわかったので、せめて周りに落ちているものを拾い集めようと思った。本を読むのが好き。図書館や本屋で背表紙を眺める時間が好き。図書館でアルバイトをしている時間が好き。歴史を知るのが好き。観劇は楽しい。何かを批評できるってかっこいい。議論って難しいけど楽しい。フェミニズムのことがやっぱり気になる。アイドル研究も面白そう。生き物の生態を知るのも楽しい。学術書とか論文も集中できる環境で読めば全然苦じゃない。

 ずっとアカデミアへの憧れがあった。子ども科学電話相談でちびっこへの質問に的確かつ平易な言葉で答える先生たちは眩しかったし、YouTube「ゆるふわ生物学」でゲームを通して専門的な知識・知見を発揮する研究者たちには何度もわくわくさせてもらった。生物学を楽しく語る大人たちの背中は格好よかった。最近は古代ギリシャも気になっている。とはいえ、専門は演劇とか表象文化とか批評になると思うけど。

 「学問を研究するというのは、人類の叡智をほんの少しずつ押し広げる営みだ」とアシタノレシピの連載「ぱうぜせんせのコメントボックス」で読んだ。どう考えても格好いい。太古の昔からたくさんの人々がちょびっとずつ押し広げてきた人類の叡智。その巨人の肩に乗って私たちは物事を見ている。そのほんの一部にでもなることができたとしたら。

 今まで先人たちがつないできたバトンを受け取って、私も人類の叡智をほんの少しでも押し広げてみたい。そしてそれが世の中の名前も知らない妹たちや弟たちのためになればラッキーだと思う。