〈推し〉について雑感

 『アイドルについて葛藤しながら考えてみた ジェンダー/パーソナリティ/〈推し〉』を購入したので、読む前に自分の〈推し〉に対する考えをまとめておこうと筆をとった。

 

アイドルと私

 私のアイドル史は8歳ごろから始まる。当時は嵐が人気絶頂であり、多くの小学生ジャニオタがそうであるように私も親の影響でジャニーズが出ている番組を見るようになった。小学6年生の頃、Kis-My-Ft2がデビューして周りの女子たちと騒いでいたのを覚えている。ただ、あくまで当時の私の見ていた小さな社会ではであるが、この頃小学校高学年女子の間ではボーカロイドAKB48なども流行っていたため、ジャニーズのみに人気が集中しているという印象はあまりなかった。

 中学生になり、少しジャニーズタレントと離れて私もボーカロイドや歌い手の世界に浸かっていく。それでも年末のカウントダウンコンサートはなんとなく見ていたし、曲も思い出したように聴くことがあった。

 私がジャニーズにもう一度ハマったのは高校生の時のことである。何がきっかけであったかはもう忘れてしまったのだが、Hey!Sey!JUMPの伊野尾慧さんを好きになった。彼はめざましテレビの木曜パーソナリティを務めていた(いる?)ので、木曜日の朝は5時半に起きて登校時間ギリギリまでリアタイしていた。その後、24時間テレビのメインパーソナリティに就任が決まったあたりでSexyZoneにも興味を持ち、中島健人さんを推すようになる。

 現在はといえば、〈推し〉との距離を測りかねており、まあまあの大きさの感情を拗らせながらも遠目で見ているといったところである。そのあたりの事情については後述したい。

 

私の〈推し〉スタイル

 年齢や時代の流れとともに、私の〈推し〉に対するスタンスも変化を重ねてきた。小学生時代は「憧れのお兄さん」であったのが、高校生になれば「ちょっとした恋愛対象」になり、クソでか感情を拗らせた結果「こうならなければならない目標」となった。

 なぜ私が「こうならなければならない目標」として〈推し〉を捉えることになったのか。それは私があまりにもアイドルの思想や言葉に近づきすぎたからである。〈推し〉を神格化し、理想的な存在として捉える。アイドルは神格化してもそれを直接本人にぶつけない限りは潰れない。自己肯定感や自尊感情が極端に低かった私は、周囲の人間を神格化あるいは理想化して捉える節があった。

 私が中島健人さんを推すと決めたきっかけは、本人のパフォーマンスとは直接的には関係がない。ある日の登校中の電車で、同じ制服を着た年下と思しき女子が気分が悪そうにうずくまっているのを見かけた。その子を助けるかどうするか迷った時、「中島健人さんなら迷わず助けるだろう」と考えている自分に気がついた。その日の放課後、私は通帳を握り締めてATMへ走りファンクラブへの登録を済ませたのである。

 このエピソードだけを見ると、ファンにそう思わせること自体が彼の魅力であり人間性の素晴らしさであると考えるかもしれない。しかし、問題はこの後なのだ。中島健人さんのパーソナリティに憧れているうちに、私の感情は「こうなりたい」から「こうならなければならない」になり、半ば強迫観念のようになってしまった。彼の姿をテレビで見ても、彼の言葉をブログで読んでも、ポジティブな気持ちになるどころか自分を責めてしまう。健全な〈推し〉活とは程遠くなっていってしまったのだ。

 

〈推し〉をどう〈推す〉かという問い

 こうした経緯を辿り、私は今ジャニーズタレントたちを遠目に眺めつつ、アイドル文化について思いを馳せる毎日だ。自分の心身の健康のために近づきすぎないようにしつつ、それぞれのグループの状況はなんとなく把握している。

 Twitterのトレンドから様々なツイートを見ていると、〈推す〉行為にも様々な方法があるのだと実感する。親目線や恋愛だけでなく、ボーイズラブ的な見方があることは先行研究によって検証されてきた通りだ。一方で、人権意識が高まる現代において、アイドルを〈推す〉という行為には一定の人権侵害を伴うことは無視できない。「恋愛禁止」の暗黙のルールなんかが筆頭だが、アイドルを性的に消費する文化も存在する。露出の多い写真集や「夢小説」がそれにあたるだろう。それ以外にも、アイドルのセカンドキャリアは非常に難しい。大きな地盤のあるジャニーズでさえ、20代〜30代が一般的には人気のピークである。そこからは下り坂である事実は誰にも否定できないだろう。ファンは若い輝きを搾取していることにはならないだろうか。

 アイドルという職業の性質自体にそもそも人権侵害的要素が含まれているのだ。だからこそ、ファンには良識が求められる。一方で、ファンダムの中で形成されてきた文化には非常に興味深いものがいくつもある。

 正しさと欲望の狭間で揺れ動くのは人間の常である。戦争でもそうだが、その間で押し潰されてしまうのは一人の人間なのだ。そのことについてより解像度高く考えるきっかけになることを、『アイドルについて葛藤しながら考えてみた ジェンダー/パーソナリティ/〈推し〉』には期待したい。